こんにちは。ブログを読んでくださり、ありがとうございます。
今日は、少しだけ私の個人的な話をさせてください。 普段は撮影の様子や、舞台の素晴らしい空気感をこのブログでお伝えしているのですが、ふと「自分はどうしてこんなにも舞台写真にのめり込んでいるんだろう」と、改めて考える機会がありました。
先日も久しぶりに舞台の発表会撮影へ行ってきたのですが、やっぱり私は舞台の撮影が本当に好きですし、「自分にはこれしかない、これが一番得意なんだ」と心の底から感じたんですよね。
でも、最初からこんな風に自信満々だったわけじゃないんです。今でこそ「得意です」なんて偉そうに言っていますが、ここに行き着くまでには、本当に色々なことがありました。決して、平坦で簡単な道のりではありませんでした。
今日は、私がこれまでどんな想いでファインダーを覗いてきたのか、そして、撮り手として皆さんにどうしても伝えたい「写真の本当の価値」について、飾らない本音でお話ししてみたいと思います。少し長くなりますが、ゆっくりお付き合いいただけたら嬉しいです。
「もう辞めよう」と、本気で何度も思った過去
いきなりネガティブな話から入ってしまって申し訳ないのですが、ぶっちゃけた話をすると、私はこれまでに何度も「もうカメラを置いて、この仕事を辞めよう」と思ったことがあります。
「舞台写真家です」と名乗ると、よく周りの人からは「華やかな世界でお仕事されていていいですね」とか「芸術的でかっこいいですね」なんて言われます。確かに、表向きはそう見えるかもしれません。でも、カメラマン側から見た舞台という現場は、皆さんが想像する以上に、とてつもなく過酷で、プレッシャーとの戦いの連続なんです。
なぜなら、舞台には「絶対にやり直しがきかない」という残酷なルールがあるからです。
例えば、スタジオでプロフィール写真を撮る時や、風景の撮影であれば、「あ、ちょっと目をつぶっちゃいましたね。もう一枚いきましょうか」とか「もう少し光の角度を変えてみよう」といった調整がいくらでもできますよね。
でも、舞台は違います。 一度幕が上がったら、そこから先はものすごいスピードで時間が流れていきます。暗転から急にパーッと明るい照明が当たることもあれば、予測不能な動きで踊り手さんたちがステージを駆け回ることもあります。
踊り手の皆さんや主催の先生方は、今日この日の、この数分数十分間の本番のために、何ヶ月も、いや、時には何年もの時間をかけて稽古を積み重ねてきています。足にマメを作り、筋肉痛に耐え、うまく踊れない自分に悔し涙を流しながら、それでも前を向いて必死に作り上げてきた「人生の結晶」のような時間です。
その最高の瞬間に、もし私のカメラの設定が間違っていたら? もし、最高のジャンプの瞬間にシャッターを切るのがコンマ数秒遅れてしまったら? 機材のトラブルでデータが消えてしまったら?
「ごめんなさい、今のシーン、もう一回だけ最初から踊ってもらえませんか?」 そんな言葉、絶対に言えません。私のたった一度のミスが、彼らが積み上げてきた膨大な時間と努力を「なかったこと」にしてしまうかもしれない。その恐怖たるや、言葉では言い表せないほどです。
特に20代前半の頃、経験が浅かった時期は、撮影のことを一から直接教えてくれる人なんていませんでしたから、本当に毎日が試行錯誤との戦いでした。撮影の前日はプレッシャーもありましたし、現場に向かう車の中ではドキドキ感を抱えていたのを思い出します。当時はまだ、デジタルではなくフィルムでの撮影が主流だったので撮影が終わってもフィルムを現像しない限り仕上がり具合の確認ができません。そりゃあフィルムが現像されるまでの時間は緊張でしたよ。そして現像したフィルムを確認した時の自分の未熟さを感じる絶望感。
「責任の重い仕事だし、どのような写真が良い写真なのか喜んでもらえる写真なのか分からない。。。自分にはこの仕事向いてないのではないか」と、 本気でそう思いつめた夜は、数え切れないほどあります。
それでも、私は舞台から離れられなかった
こんな話をすると、じゃあ、なんで辞めなかったの? と聞かれますよね。 自分でも不思議なんですが、答えはものすごくシンプルなんです。
「やっぱり、舞台の写真を撮るのが好きだから」
結局、最後はここに行き着くんですよね。 重い機材を担いで会館の扉を開け、あの特有の「空気感」と「香り」を嗅ぐと、自分の中で「いいね!」っと、スイッチがカチッと入るのがわかるんです。
レンズ越しに見つめる彼ら彼女らの姿は、言葉にならないほど素敵で、生命力に満ち溢れています。緊張を乗り越えて、自分がこれまでやってきたことを全部出し切ろうとするそのエネルギー。仲間と呼吸を合わせて踊る喜び。そして、踊り終えた後の、涙と汗でぐしゃぐしゃになった、あの最高の笑顔。
ファインダー越しにその圧倒的な情熱を直接浴びせられるたびに、私のテンションは上がり、「ああ、この瞬間を絶対に逃したくない。この美しい姿を、全部写真に閉じ込めたい」という強烈な衝動に駆られるんです。
緊張よりも、「この素晴らしい舞台を記録したい」という純粋な欲求が勝ってしまう。踊り手たちが放つ眩しいほどの光に引き寄せられるようにして、私は辞めるタイミングを完全に見失い(笑)、気づけば20年以上もこの世界にどっぷりと浸かり続けてしまいました。
頭を空っぽにする。職人としての「右脳的」な感覚
そうやって、逃げ出さずに泥臭く現場に通い続け、数百それ以上という舞台を見つめ、無数の失敗と成功を繰り返してきわけですが、長く続けていると、自分の中である大きな変化が起きていることに気がつきました。
それは、「頭で考えて撮る」ことから「身体で感じて撮る」ことへのシフトです。
昔は、「次はこういう振り付けだから、カメラの露出をこう設定して、構図はこの位置で……」と、頭の中(左脳)でフル回転で計算しながら撮影していました。でも今の私は、本番中、頭の中はほとんど空っぽです。私の撮影スタイルは、ものすごく「右脳的」なんですよね。
20年以上の経験は、知識としてではなく、私自身の身体の奥底、細胞の隅々にまで完全に染み込んでいます。 音楽の波に乗り、踊り手の方と呼吸を合わせる。そして、ファインダー越しに彼らを見つめていると、言葉なんて交わしていないのに、ハッキリと聞こえてくる瞬間があるんです。
「あ、今だ」 「今、この瞬間の私を見て!」
踊り手さんの表情のわずかな緊張、呼吸のタメ、身体の動き。それらが私の感覚とピタリと重なり合った瞬間、頭で「シャッターを押そう」と考えるよりも先に、右手の指が勝手に動いてシャッターを切っている。そんな感覚です。
私は自分のことを、芸術肌のアーティストだとは思っていません。むしろ、根っからの「職人」だと思っています。 大工さんが木の性質を指先で感じ取ったり、料理人さんが鍋の音だけで火加減を調整したりするのと同じです。踊り手さんや主催の先生方が心の中に描いている「この最高の瞬間を残してほしい」という無言の願いを、空気を読んで、寸分の狂いもなく掬い上げてカタチにする。それが、職人としての私の唯一の役割であり、絶対的な自信を持っている部分です。
「選ばれる」ことのシビアさと、そこにある深い感謝
さて、少しだけ現実的な、ビジネスのお話もさせてください。
当然のことながら、私はこれを仕事として、ビジネスとしてやらせていただいています。でも、私のやっている舞台写真という仕事は、ただ現場に行って、パシャパシャと写真を撮って、「はい、終わりました。これが請求書です」というような単純なものではありません。
私は、撮影にお伺いしたからといって、自動的にお金がもらえるわけではないんです。 私が撮影した何千枚という膨大な写真の中から、ご家族や踊り手ご本人が一つひとつ写真を見て、「あ、この写真すごくいいな」「この時の表情、最高だな」と心から思い、ご自身の意志で選んで(買って)いただいて、初めて私の仕事は成り立ちます。
これって、すごくシビアな現実だと思いませんか? もし私が、ただ記録として写っているだけの、何の感情もこもっていない「つまらない写真」しか撮れなければ、誰にも選んでもらえません。私の仕事は、そこで終わってしまうんです。
だからこそ、私は絶対に手を抜くことができません。一枚一枚に魂を込めて、皆さんの心を動かす写真を撮り続けなければならないんです。
でも、このシビアな環境があるからこそ、私はこの仕事に途方もないやりがいと、感謝の気持ちを感じています。
だって、よく考えてみてください。 誰かが人生の大切な時間を捧げ、血のにじむような努力をして立った晴れ舞台。その「人生の大切な一部」の撮影をさせていただけるんです。 そして、皆さんが「この写真を手元に残したい」「私の宝物にしたい」と、私がシャッターを切った一枚を選んでくださる。
自分の仕事が、誰かの人生の「特別な想い出」として何年先も残り続ける。 こんなにも素晴らしくて、こんなにも感謝の気持ちで胸がいっぱいになる経験をさせてもらえる仕事なんて、他にないんじゃないかと本気で思っています。皆さんが写真を選んでくださるたびに、「ああ、辞めずに続けてきて本当によかった」と、心の中で何度も何度も頭を下げています。
だからこそ、お願いです。写真を「カタチ」にして飾ってください
私が職人として、皆さんの特別な想い出を切り取らせていただいている中で、最後にもう一つだけ。どうしても皆さんにお伝えしたい、心からの「願い」があります。
それは、「お気に入りの写真は、絶対にプリントして、カタチにして飾ってほしい」ということです。
今はスマホやパソコンの画面で、いつでもどこでも写真が見られる便利な時代ですよね。データはデータとしての利便性の高さや効率の良さがあります。データで持っていればかさばらないし、友達に送るのも簡単です。「写真はデータさえあれば十分」と思う方も多いかもしれません。
でも、あえて言わせてください。 写真の本当の良さ、本当の価値は、「物理的なカタチ」になって初めて感じるものなんです。
データは、スマホの画面をスワイプすれば一瞬で流れていってしまいます。新しい写真にどんどん埋もれて、やがて見返すこともなくなってしまうかもしれません。
でも、丁寧にプリントされた写真は違います。 手で触れることのできる印画紙には、確かな「温もり」があります。
皆さん自身が「これだ!」と選んだ一番のお気に入り写真を、ラミネート加工をしたパネルに仕上げ、リビングの壁や、毎日目にする玄関に飾ってみてください。あるいは、きちんとしたアルバムにまとめて、いつでも手の届く本棚に置いてみてください。
そして、日々の生活の中で、ふとした瞬間にその写真に目を向けてほしいんです。
仕事や学校で疲れて帰ってきた時。 何かに躓いて、自信をなくしてしまった時。 ちょっとだけ、前を向くのがしんどくなってしまった時。
壁に飾られたその写真を見た瞬間、足の裏で感じたステージの感触、客席から湧き起こった大きな拍手の音、袖でドキドキしながら出番を待っていた時の仲間の温かい手。そして何より、「一つの目標に向かって、あんなにもひたむきに頑張ることができた自分自身の姿」が、昨日のことのように鮮やかに蘇ってくるはずです。
「あの時の私、すごく輝いてるじゃないか」 「あんなに頑張れたんだから、今の私だって、きっと大丈夫だ」
カタチになって残された写真は、ただの紙切れではありません。それは、過去の自分が、今の自分、そして未来の自分を力強く励ましてくれる「最高のお守り」になるんです。
データとしてハードディスクの奥底に眠らせておくだけでは、この魔法は起こりません。 目に見える場所にカタチとして存在し続けるからこそ、写真は皆さんの人生に寄り添い、背中を押し続けてくれるエネルギーに変わるんです。それこそが、写真を撮り、カタチにして残すことの「本当の意味」だと私は信じています。
結びに
何度も壁にぶつかり、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、舞台の魅力に引き戻され、不器用な職人のようにレンズを覗き続けてきた私の写真。 それが、皆さんの人生を彩り、ずっと寄り添い続ける「カタチ」になれるのなら、写真家としてこれ以上の幸せはありません。
踊り手の皆さんが心血を注いで作り上げた最高の瞬間。主催の先生方が作品に込めた深い情熱。そして、陰ながら全力でサポートし、客席や舞台袖から祈るように見守るご家族の無償の愛。
それらすべての想いを、私はこれからも「右脳」をフル回転させて、一枚の写真という永遠のカタチに残し続けていきたいと思っています。
さて、次の舞台では、一体どんな奇跡の瞬間に立ち会えるのでしょうか。 皆さんのどんな素晴らしい表情に出会えるのか、今から楽しみでワクワクが止まりません。
これからも、この大好きな「舞台」という場所で、皆さんの輝く姿を追いかけ続けたいと思います。 会場で私の姿を見かけたら、ぜひ気軽に声をかけてくださいね。
本当に長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。 皆さんの人生が、これからも素晴らしい光に包まれたステージでありますように。